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祝・北京冬季オリパラで新国立問題 [仕事雑感]

新国立競技場「やっぱりザハ・ハディドが必要です」元ゼネコン社員から見た混乱の原因http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/31/new-national-stadium-plan_n_7904924.html?utm_hp_ref=japan


「議事録を読めばわかりますが、唯一削れたのが陸上のサブトラックですよ。普通は、発注元であるJSCとザハと日建設計らの設計チーム、ゼネコンの三者が、あれはできる、できない、いくらかかる、とバチバチやらなきゃいけなかったのを、JSCが要件を削りたくないから、「これでいきましょう」としたのが原因だと思います。」


自宅を立てるときと同じで、予算が足りないから床暖房を諦めたけれど、JSCが無責任にもそーいった調整ことをしていないからこのゴタゴタになっているという話。なるほどね。


公務員は「計画を粛々と実施」することがミッション。そのかたくなさが社会の秩序をつくり、安心をひろめているけれど、現業的なところでは邪魔な行動規範になるわけだ。


新国立競技場の件では、なるほどと合点がいきました。


けれども、これを別のことに置き換えるとどうなるだろう。


安保法案のことです。


現実路線でいくと、アメリカが世界の警察的なお役を降りようとしているとき、日本人が殺し殺し合うことをアメリカの貧しい若者に肩代わりさせられなくなってきているから、どーにかして日本の豊かさを守ろうということでしょう。そうしたとき憲法は邪魔なわけです。


それでも頑なに憲法を尊守するのか、それとも現実的な判断として、日本が自ら戦争で世界に脅しをかけていったほうがいいのでしょうか。


まったく違う話題ではあるけれど、イデオロギーとかを取っ払って、これを業務としてみると、いろいろと考えさせられます。


問題は、どちらにもビジョンがないことです。人口減少社会で、日本の豊かさを持続的なものにしていくためのビジョン、こちらは本業の取材活動でも関係していることでが、その視点から考えるとこのコストは無しでしょう。もっと別の価値創造をオリパラでは目指すべきです。未来が見えません。


安保法案も、九条を言い訳にして殺し殺し合いへの不参加を通してきたことの評価をきちんとしなければいけないし、日本以外の戦争があって当たり前という国々とまったく別の価値観で行動している日本は、どーやって関係していくのでしょうか。これまでのやり方が通用しないことは明らかなので、それでは70年後の日本は世界でどのような存在になろうというのか、そういうビジョンをもっと議論すべきです。


だから3.11以降、原発、自然、食、安保などとネットを中心として議論が広がってきたことは、いいなぁ。そう思ってます。質の悪い議論も目立つけれど、そういうことも含めて、あらゆるレベルと階層で議論が広がると、そこから相互理解の芽が出てくると信じています。


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