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嫌老ではなく、人生をスタイリッシュに断舎利する [社会保障]

だいたい、年金もらって遊び暮らす老人が増殖しているのに、大学の学費は急騰して家計の教育コスト負担率は破産寸前の危険水域です。そもそも大学卒業生の内定率が7割切っているところがあるご時世です。ついに、大学進学バブルの崩壊です。

それにしても、ここまで次世代育成が粗末にされてて、ほんとうに良いのでしょうか。

じわじわと感じる「老人を嫌がる風潮」
https://cakes.mu/posts/12050

この記事は、中身は情緒的な話につきるので、エッセイとして読めばいいのだけれど、それでも老人排斥運動が起きたって、何らおかしくないような状況だと思います。

ところでこの問題は、老人独特の喪失感に原因があるのではないかと、最近は考えています。

老いとは、あらゆるものを失っていく時間のことです。

体力の衰え、物忘れ、社会的な地位の剥奪・・・・。とにかく自分のアイデンティティを構成していた、命以上に大切なものがことごとく失われていくわけです。

そのストレスを想像するだけ、老いることが恐ろしくなります。

そのように考えてみると、自らのことは犠牲にしてでも次世代育成を応援するようなムーブメントにはなりにくいのでしょう。仙人のような人ならいざ知らず、年寄り=すばらしい人間性というのはファンタジーでした。老人に対する社会の期待は裏切られました。そして欲望に負けぐせがつきまくっている普通の人に、喪失感をポジティブに転換できるわけがありません。

では、どうすればいいのか。

これはエンディングノートの出番です。

子どもが育つ、キャリアの階段を上っていく、とにかく人生は積み重ねです。そのスピードは人それぞれですが、プラスの時間が続くわけです。もちろんバブルがはじけるような暴落もときには経験するけれど、人生というストックは成長を続けることがデフォルトなわけですね。

そして50年ほど前までは、成長の途中で人生は終了していました。60歳とかに死んでいたわけです。

それが長寿社会になり、成長から喪失へと人生曲線が転じても生き続けることになったわけです。ところが、このニュータイプの登場に見合った、喪失のアイデンティティが未だに見出されていません。ここに課題があると思うのです。

喪失の時代ではあるけれど、それを肯定的にとらえられるような生き方を考えなければなりません。どうやって喪失していくな、ようするに人生の断舎利をかっこよくするためのエンディングノートがあってもいいでしょう。そしてニュータイプな老いを支援することは社会福祉の役割だと思うし、全世代がハッピーになれる次世代育成にもつながることだと考えています。。


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