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7/10 投票へ行こう [社会保障]

47都道府県のすべてで「高齢者>子ども」という完全高齢社会になってから初の国政選挙です。議論すべき問題はあまりの多さで、どこに焦点をあてたらいいのかよくわかりませんが、そうしたなかで世代別投票率は注目です。

●年代別投票率の推移
http://www.akaruisenkyo.or.jp/070various/071syugi/693/
syu-nenreisuii.jpg

リンク先のグラフを見ての通り、50代以下は投票率が50%以下になっています。ただでさえ人口が少ないのに、それでいて投票率が低迷しているため、政治における現役・若者の存在感がとても薄くなっています。

生活課題はライフイベントと深い関係にあります。進学、就労、結婚、出産、子育て、罹病、失業、介護……。これらはあるライフイベントや加齢という生物学的な因子によってリスクが急上昇する傾向にあります。

世代間の対立は不毛だとおもいますが、年齢と直面する課題には相関があります。そのため世代ごとで政治に期待することは違ってくるのも当然のこと。

そうすると、余命が長くてチャレンジングな現役世代が政治的に存在感を出していった方が、長期ビジョンでこの国の発展へと導くはずです。

数で高齢世代を圧倒することは、必要だとは思いません。そのことよりもむしろ、投票率が政治的な存在感を高めるでしょう。

創価学会が好例です。信者数は250万人程度。これは人口のわずか2%ですが、政治的な存在感は20%以上という印象です。それは政治的な交渉の上手さだけでなく、彼らの極めて高い投票率がパワーの源だと思います。投票所に行ったり、行かなかったりする無党派層よりも、なにが何でも投票する2%は強いのです。

共産党にしてもそうです。国政ではパッとしなくても、地方議会では存在感のある政党です。

そう考えると、選挙権が18歳以上に引き下げられ、若者の有権者数が増えた今回は40代以下の投票率がどのように出てくるかで、今後の日本社会がどういったビジョンを描くのか決まってくるのではないでしょうか。

ですから、どの候補に投票するのかではなく、とにかく投票することが大事な選挙だと思います。もし高齢者を上回る投票率となったなら、日本社会はこれまでのように若者を無視し続けることはできなくなります。結果として次世代育成を重視する発展社会へと歩み始めることでしょう。


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嫌老ではなく、人生をスタイリッシュに断舎利する [社会保障]

だいたい、年金もらって遊び暮らす老人が増殖しているのに、大学の学費は急騰して家計の教育コスト負担率は破産寸前の危険水域です。そもそも大学卒業生の内定率が7割切っているところがあるご時世です。ついに、大学進学バブルの崩壊です。

それにしても、ここまで次世代育成が粗末にされてて、ほんとうに良いのでしょうか。

じわじわと感じる「老人を嫌がる風潮」
https://cakes.mu/posts/12050

この記事は、中身は情緒的な話につきるので、エッセイとして読めばいいのだけれど、それでも老人排斥運動が起きたって、何らおかしくないような状況だと思います。

ところでこの問題は、老人独特の喪失感に原因があるのではないかと、最近は考えています。

老いとは、あらゆるものを失っていく時間のことです。

体力の衰え、物忘れ、社会的な地位の剥奪・・・・。とにかく自分のアイデンティティを構成していた、命以上に大切なものがことごとく失われていくわけです。

そのストレスを想像するだけ、老いることが恐ろしくなります。

そのように考えてみると、自らのことは犠牲にしてでも次世代育成を応援するようなムーブメントにはなりにくいのでしょう。仙人のような人ならいざ知らず、年寄り=すばらしい人間性というのはファンタジーでした。老人に対する社会の期待は裏切られました。そして欲望に負けぐせがつきまくっている普通の人に、喪失感をポジティブに転換できるわけがありません。

では、どうすればいいのか。

これはエンディングノートの出番です。

子どもが育つ、キャリアの階段を上っていく、とにかく人生は積み重ねです。そのスピードは人それぞれですが、プラスの時間が続くわけです。もちろんバブルがはじけるような暴落もときには経験するけれど、人生というストックは成長を続けることがデフォルトなわけですね。

そして50年ほど前までは、成長の途中で人生は終了していました。60歳とかに死んでいたわけです。

それが長寿社会になり、成長から喪失へと人生曲線が転じても生き続けることになったわけです。ところが、このニュータイプの登場に見合った、喪失のアイデンティティが未だに見出されていません。ここに課題があると思うのです。

喪失の時代ではあるけれど、それを肯定的にとらえられるような生き方を考えなければなりません。どうやって喪失していくな、ようするに人生の断舎利をかっこよくするためのエンディングノートがあってもいいでしょう。そしてニュータイプな老いを支援することは社会福祉の役割だと思うし、全世代がハッピーになれる次世代育成にもつながることだと考えています。。


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働くことの強迫観念 [社会保障]

働きたくないなら、働かなきゃいいじゃない。
http://blog.tinect.jp/?p=16490


そうそう♪

社会福祉の仕事していると、働けない人や働きたくない人といっぱい出会うわけですが、「働け!」というプレッシャーが酷くて、ある人たちにはヘイトスピーチですらあります。

日本国憲法の「国民の三大義務」は(1)保護する子女に普通教育を受けさせる義務(26条2項)(2)勤労の義務(27条1項)(3)納税の義務(30条)。子どもに勉強する義務はないんですよ。けれども勉強しなさいと言うことは親の義務だね。これは後から面倒なことになるから、子どもには内緒♪

話を戻して勤労の義務だけれど、心身の障害があって働けない人、要介護で仕事どころから生活の自立が困難な人はどうしたらいいのでしょうかね。精神障害の人は働けないことで、さらに追い込まれてしまします。

そこでこれを、消費の義務としてはどうでしょうか。生きていれば何らかの消費をするわけで、そのことは経済活動に貢献します。これで経済における役割を果たしていると考えるならば、もっと自由に生きていけると思います。


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2025年問題は、老々介護で乗り切れる!? [社会保障]

 介護職員が38万人不足するそうです。厚労省の推計によるこのニュースは一般メディアでもトップ扱いなので、国民の関心は高いのでしょう。ただその国民というのも団塊の世代に限定したことかもしれません。だってね、現役世代にとっての2025年問題は子どもの学資ローンと住宅ローンの多重債務なわけで、悠々自適に年金暮らしをしている人たちのことまで、正直言って手が回りません。

「やたらと頼ってくるな。世代内でどうにかして片づけてくれ!」というのが現役世代の本音です。

 団塊の世代が75歳以上になる2025年度をどうやって乗り切るか。これが介護施策にとって火急の問題であることは分かります。必要な全国の介護職員は253万人の見通しであるにもかかわらず、現状の増員ペースのままでは38万人不足するという推計です。現在は約170万人の介護職員が働いており、10年後までに80万人の増員が必要という計算だけれど、その5割しか確保できないとは、もはやこのプロジェクトは不可能。新国立競技場の建設よりも実現不可能ですよ。

 ではどうすればいいのか。ちょっとした金額の年金を握らせて海外へ追放するわけにもいきませんし、国内でどうにかしなければなりません。

 そのソリューションとして、世代内扶助に期待しています。
 健康寿命が延びています。そしてQOLの視点からも、高齢者が役割を持てる場を作れなければ、長生きしたが心は満たされないということになるでしょう。そこで役割として介護という社会的な場を創出してはどうでしょうか。70歳代の元気な方が、認知症デイで働くのです。
 要介護者の発生率は、40~64歳では0.4%、65~69歳では2.9%ですが、加齢とともに急速に高まり、80~84歳では29.6%、85歳以上では59.6%となっています。ということは80代前半はまだまだ元気なわけで、彼らの役割を介護のなかに創出すれば、世代内で介護人材を確保できます。そして夜勤やターミナルケアを現役世代が担うようにします。また収入があるのだから、その分だけ年金給付を抑制するということも可能になります。

 全世帯で社会保障を考えると、これからは次世代育成(子育て)にコストをかけていかなければ、この国は沈没するわけで、この同世代介護は妙案だと思うのですが、どうでしょうかね


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介護報酬の15年改定は史上最高の複雑さだ [社会保障]

2015年度は介護保険の改定があるので福祉ライターにとっては勉強の年です。制度のことを知らないとインタビューもできません。ですから改定のことを含めて制度を一通りフォローすることはマストです。

ところがこの制度が複雑でそう簡単に理解できません。だから専門職でも自分の関係していない箇所までは把握していのが実状です。

自治体の介護関係職員にしても、1年目は制度の理解、2年目でようやく仕事になり、3年目で地域の課題に気づき始め、4年目の春に異動という具合です。だから地域に合わせて制度をデザインするのは至難のことです。

ところが今回の改定では地域(自治体)の責任が増しています。要支援の訪問や通いのサービスが介護保険の予防給付から外され、各地域ごとでサービスを組み立てるようになるからです。ただそれがどこまで上手くいくのか、財源面や人材などの課題は多くて、現実と理想のギャップはさらに開いたという印象が拭えません。

かくゆう自分も悪戦苦闘してます。これまで介護保険の改定レビューを3本書いたけれど、見直すと抜けがあって及第点かな? ただ今、4本目の準備中だけれど、正に道迷い中という気分です。批判するのは容易いけれど、改定をどうやって評価していこうかと悩んでます。

まあ、そうゆうことなので、もっとも不安になっているのは当事者である要介護の本人とその家族でしょう。

分からない=不安、分からない=権威の源泉

医療は後者だけれど、介護は前者でしょうか。複雑な制度を使いこなす船頭として、ここはソーシャルワーカーやケアマネジャーに踏ん張ってもらう場面です。


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キリギリス型社会福祉論 [社会保障]

あのね、健康だったらどうにかなるから、大丈夫よ。

長女が赤ちゃんのときからお世話になりっぱなしのお婆ちゃんが、久しぶりに電話をくれて、その時に言われたアドバイスです。学校から帰ってくると、そのまま上がり込んだり、親が不在だと上がり込んだり、外遊びしてると出てきて見守ってくれていたお婆ちゃんも、夫を見送ってからしばらくすると、実家のある雪国へと引っ越していきました。きっと、古里の山を見ながら暮らしたかったのだと思います。

その、お婆ちゃんが、お金はどうにかできるわよ。そんな心配するよりしっかり食べて、元気に暮らしなさいと言ってくれました。

そう言えば、5人家族になろうかと迷っていたとき、子育て支援の運動をしている先輩方も同じことを言ってました。昔は大家族でそれが不確実性に満ちた人生を歩んでいくとき心の拠だったけれど、核家族になったたいま、「な~に、どうにかなるわよ」と思わせてくれるのは社会福祉の力だと思います。

そう思うと、だからキリギリス型の人生なんだと、自分勝手に納得したりもするわけです。


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福祉が不運を克服し、成長の原動力へと変換する [社会保障]

とある学校向けに書いた論述です

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 人生は多くの不運に満ちている。例えば病気を患う、心身の障害を負う、勤務先が倒産する、家族と不仲になるなどは誰にでも起こりうることだ。そして自分の心がけだけでは防ぎきれない理不尽さがある。だから将来に希望を抱くとき、不安も芽生える。 そこで、もしものときに備えて保険に加入したり、健康診断を受けるといったことで不安を克服しようとする。
 けれども、個人の能力だけではどうすることもできない困難なケースも起こる。そうしたときは社会の力で課題を取り除こうというのが社会福祉の諸制度だと考えている。言い換えると、大変な不運に直面しても社会が守ってくれるという安心感が醸成されていることで、リスクが想定されても人生にチャレンジできるわけだ。そう考えると社会福祉は社会を発展させる原動力とも言えるだろう。
 私は3姉妹の親だが、子育ては何が起こるか分からない不確実性に満ちている。もちろん親の思い通りに育ってはくれないし、重大な病気や事故に巻き込まれるかも知れない。また充分な教育費を稼げるか自信もない。そういった子育てのリスクやコストをていねいに拾い集めると、将来への不安が膨らみ、とてもじゃないが親になろうと決断できない。
 しかし保育制度があり、もしもの時は医療保険を使えば治療を受けられるだろう。失業には雇用保険があるし、病気で働けなくなっても生活保護を受けながら生活再建を目指せる。こういった社会福祉の制度が整っているから、子育ては不安だけど、楽しみや喜びが大きいから親になろうと決断できる。
 実際に親となってからは、社会福祉に支えられていることを日々実感している。子育ての悩みは保育所の保育士のほか、保険薬局の薬剤師、子育て支援団体のボランティアに相談しながら解決してきた。長期入院したときは高額療養費制度に助けられた。そして地元町会の皆さんによる見守りも心強い。核家族ではあるけれど、多くの人たちや制度による支えがあるから子育てできている。
 ところが重大な課題に直面したとき、諸制度を使いこなしたり、専門職の支援を受けることは難しい。制度は複雑だし、当事者として、目の前で起きていることを冷静に理解、受容して行動できる人は希だろう。そこで当事者の事情を理解し、地域の社会福祉資源につないだり、多職種連携をコーディネートする役割が必要だろう。


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高齢者は、がむしゃらに働けるの? [社会保障]

政府は高齢者頼みのの経済成長を考えているようです。

若者や子どもたちに望みを託さないあたり、なんとも寂しいことだけど、先日発表された資料からそうした姿勢が読み取れました。

厚生労働省が6月3日開催の第21回社会保障審議会年金部会において発表した将来の厚生年金・国民年金の財政見通しの「平成26年財政検証結果」及び「オプション試算結果」を先週公表しました。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/nenkin/nenkin/zaisei-kensyo/index.html

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この中で一つの資料に目がとまりました。労働力率の将来推計では「経済再生シナリオ」と「ゼロ成長シナリオ」の比較をしているけれど、最大に違いは高齢者の就労です。

65-69歳の2030年男性就労率(推計)は「経済再生シナリオ」のとき64.7%と見積もっているのに対し、「ゼロ成長シナリオ」は46.6%という低さです。

人口のボリュームゾーンである高齢者を労働力として期待していることがはっきりと分かるのだけれど、彼らはGDPに貢献するような働きをしてくれるのでしょうか。

今、この夏に出版される専門書のために高齢者の労働について調査しているのですが、彼らは稼いでくれそうにないことが分かってきました。

仕事への意欲はとても高いのですが、子育ても終えて、あまり所得にこだわっていないようなのです。それよりもむしろ、社会貢献を意識するソーシャルアントレプレナーへの憧れが強いようです。

身体的にも、30代のようにがむしゃらな働き方はできません。無理をすると、疲れが数日残るし、徹夜するような踏ん張りも効きません。

そうしたことからも、生涯現役がロールモデルになることは間違いないが、人生経験豊富で稼がなければならないプレッシャーから解放された世代として、社会で担う役割は、GDPを直接的に押し上げるような稼ぎ手ではないでしょう。

やはり稼ぐのは現役世代です。そのために何をしたらいいのか、政府には考えてほしいところです。


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社会保障を知らないから「年金は払い損だ」って言えちゃう [社会保障]

社会保障というのは生活のベースラインだ。どうにかなるだろうという漠然とした安心感や所得再配分による公平感が社会秩序をもたらし、その環境があるから志ある人たちはチャレンジするし、普通の人たちも子育てや仕事を誠実にすることができる。

無能な厄介者に恵んでやるための制度だと言わんばかりに、社会からは軽視されている。生活保護へのバッシングを見れば、国民が社会保障をどう評価しているかうかがい知れるだろう。

しかしだ、この社会保障がなくなったとしたら、それこそならず者国家にまっしぐらじゃないか。隣人のことなど鑑みず、とにかく自分と一族の生存をかけて、何でもしてやろうってことになる。そんな不安感ばかりの社会で、チャレンジなんてできるわけない。それこそ先進国日本の豊かさは失われてしまうだろう。

例えば、「年金保険料は払い損だ」「税金を払ってるのは俺だぞ」といった話はちまたにあふれているけれど、どれも社会保障の無知が言わせていることだ。さらにだ、社会保障を知らないばかりに、すぐそこにある支援を使うことなく窮地に追い込まれ、子殺しのよう悲しい事件も起きている。中年男性、単身、無職に自死が多いのもそうしたことがひとつの理由だ。

こんなことになっている原因として教育がある。

政治や政府が国民一人一人の生活に深く影響を及ぼしている。悪影響ばかりじゃなく、普通の生活が、見えにくく日々の実感はないけれど、社会保障が基盤となって成立していることの具体的な仕組みや決定プロセスなどを教育の中で子どもたちに知らせる取り組みがほとんどないからだ。

社会保障分野で取材するようになってから、多くのことを知った。でもこの仕事をしていなければ、知るチャンスもなく、社会保障の上に自分たちの生活があるってことを気づかぬままでいただろう。

だからこそ、子どもたちには社会保障を深くする機会を持ってもらいたい。その知識は進学、恋愛、就職、結婚、出産といったライフイベントへ歩を進める勇気をもたらすとおもうから。


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社会保障の教育 [社会保障]

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子どもたちが将来、自立した大人として自分らしい生き方を実現するためには、自ら考え、判断する力を身につけ、社会の中で自分の役割を果たしていくことが必要です。

社会保障の学習と言うと、年金や医療など個別の制度の学習を思い浮かべられるかも知れませんが、少子高齢化の進行や地域・家族の変容、経済の低迷など社会経済情勢が大きく変化している昨今、個別の制度論よりも先に、そもそも社会保障制度がよって立つ社会のあり方を考えることが大切ではないでしょうか。

社会保障という仕組みを共通項として、身近な地域社会の中での一人ひとりの役割、助け合い、連帯といったことから、行政や国の機能・役割まで、自ら主体的に考えるきっかけとすることができます。こうした学習を広く展開することは、子どもたちの成長にとって大きなプラスになるものと考えています。
http://goo.gl/2ox8JA

これは厚生労働省が子どもたちに伝えようとしてる「社会保障の意義」です。細々と「社会保障の教育推進に関する検討会」が学校向けの社会保障教材づくりなどをしています。ここでの議論内容や教材のできについて、ダメだししたいところがあるけれど、冒頭の文章はぜひ伝えたい。

とくに「自分らしい生き方を実現するためには、自ら考え、判断する力を身につけ、社会の中で自分の役割を果たしていくことが必要です」と言い切ってるあたり、いいじゃない。社会保障こそが社会のあり方なのだから、社会保障という共通言語をもって、社会なかで自分の役割を果たすのだよ。


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