理論の勉強をしています [とほほ]
そこまで分かっていたなら先に言ってくれよ。
正直言って、私は怒っています。何にって、自分にね。
社会福祉の資料を読み漁るようになって1年がたつけれど、目から鱗が落ちるような発見の連続です。
研究者や専門家が科学的に議論を重ねてきた成果として結論に至っていることを、自分はいまさらどうこう検討しているケースが多くて、なんと無駄な時間を費やしてきたことか。ガッカリさせられます。
本というのは教養のクラウドサービスのようなもので、自分一人では到達できないような高みに優れた研究者たちの英知を使って登るわけですね。これはOJTにできないねぇ。
大学は農学部だったし、医療職として働いた経験もありません。それでも社会福祉の専門ライターとして書いてこれたのは、取材のたびに知識を得てきたOJT的なことの積み重ねでした。
そうした経験から、素人ではない知識量とか視点はあるけれど、自信がなくなってきました。
言葉が上すべりする。そういった感触ばかりが締め切り後に残るのです。原因は明らかでした。それは自分の記事に根拠が薄っぺらだったから。
そこで学びはじめたのだけれど、あるケースで議論になっていることでも、研究者のなかではすでに解決済みということがとても多いのだと気づきました。医療の人たちが在宅移行で議論していることでも、ソーシャルワーカーの生活モデルでは何をすべきかすでに明らかであったりします。
専門家たちが多くの時間を費やして結論を導き出しているのに、それを知らないがために、同じ議論を繰り返すことになっています。これは社会としてとてつもないロスです。
人類の英知は、私たちの共有財産としてもっと活用しなければ。とくに人口減少社会のこれからは大切になってくる視点だと思います。
英知はOJTでは学べません。その現場でしか通用しないムラの都合でしかないのでね。しっかりと理論を持った上でなければその場しのぎのOJTになってしまう。というか自分にはそこに陥っていたのだと気づきました。普遍的な理論に耐えうる知識を持たなければと意識するようになっています。
情緒的な●●理論も跋扈しているけれど、そういった聞こえのいい話に躍らされないためにも科学的な理論を身につけることが大事。そう思うようになりました。
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