子どもと一緒に投票所へ行こう [社会で子育てしよう]
投票に行こう。
投票して、私たちはここにいるよと声を上げよう。
誰に、どこの政党にはその次の話。まずは投票することが大事。10代、20代の投票率が80%を越えたなら、政治が若者や子どもを無視し続けることはできなくなるから、絶対に投票しよう。
そう願っているのだけれど、子どもから聞いた、ちょっとびっくりな話。
「中学校で選挙のこと話している? 先生はどんな話をしてくれるの??」
「そんな話しないよ!」
「えええええ~」
あまりにがっかりな答えで、目が点になりました。
今回は参院選です。当選すると任期は何年でしょうか?
そう、6年です。議席の半数ごと改選になるけれど、今回選ばれた人たちを次に選挙するのは6年後ですから、今の中学生も投票できます。
次の選挙ではあなたもこの人たちに投票するんだからね。
そう話すと、考えてもいなかったその事実に娘は驚いていました。
中学生にとっては、人ごとでない、次は自分の順番がやって来るという大切な選挙なのです。
驚くと言うことは、それだけ関心があるということで、シチズンシップ教育をするのに充分な内発的動機が子どもたちのなかにはあるのです。
それにも関わらず、学校ではこの期を逃すわけで、どんだけ目先のことしか考えずに教育しているんだと、ちょっと怒りにも近い感情がわき出てきました。
中等部でする教育とは人生を豊かにするための教養を育むことだと思うのですが、この子どもたちの6年後のことすらも意識できず、予定をたんたんと消化するだけの薄っぺらい授業で子どもたちの意欲を刺激できているのか。そこを考えてほしいなと。
選挙から目をそらそうとする教育委員会ですが、政府・文科省はシチズンシップ教育を推進しています。
平成25年度の子ども・若者白書(内閣府)では子ども・若者の社会形成・社会参加(シチズンシップ)支援として学校教育でもと陸を図るとしています。そこには次のように書かれています。
文部科学省は,中学生と高校生の社会参画に係る実践力を育成するため,平成25(2013)年度に,地域の抱える具体的な課題の解決に係る体験的・実践的な学習を学校と地域が連携して行うためのプログラム開発に関する調査研究を教育委員会などに委託して行う。
そして選挙権の行使は、まさに地域課題を解決するための個人で取り組める実践です。
そいうわけで、中高生のお父さんやお母さんは「次回はあなたが投票するのよ」と子どもに話してみるといいですよ。
PTA活動は専業主婦がするからダメなのよ [社会で子育てしよう]
★菊池桃子の「PTA活動って難しい」発言にネットの働く母親の不満が噴き出した!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160418-00000507-san-pol
なにかと話題になってるこの記事ですが、専門教育を受けている菊池氏はもっとマクロな視点から発言しているように思えて、メディアやSNSの反応には、ちょっと焦点がずれてるよと思っていました。
PTAは地域社会福祉活動コミュニティワークのなかで、個人や家族に対する個別支援のコミュニティソーシャルワークを意識した当事者団体です。
そういう定義をすると、記事中にある「月に一度の集まりは、仲良しグループのおしゃべり会になっている。わざわざ有給を取って参加しても、私には分からない内輪の話ばかりで、無駄に感じる」というコメントは失敗例の典型だとわかる。
そして記事中には……
女性が所属する「広報委員会」では、年3回発行する広報誌に載せる情報を交換するという名目で、毎月一度、平日の昼に数時間ほど学校へ呼び出される。しかし、待っているのはお菓子を持ち寄った母親たちの噂話や、PTAとは関係のない話題。「この時間があれば、仕事を進められるのに…」。会社でできなかった仕事を自宅に持ち帰り、深夜にパソコンを開くたび、気が重くなる。
とあるが、PTAと関係のない話題で盛り上がるグダグダ感にこそコミュニティソーシャルワークにつながる重要なポイントです。そこから援助支援へつなげることができるからです。
そして「PTAとは関係ない」といった評価は、このコミュニティワークをまとめる役割を持った人=コーディネーターの不在に原因があると思う。活動の目的を見極めることができていないから、仲良しクラブのグダグダに活動が沈没しているのでしょう。
PTA活動はいいかげんな任意団体ではなく、理論的な背景を持っていることを意識している人は少ないでしょう。公益財団法人日本PTA全国協議会では「綱領」をまとめていあす。そこには次のように書かれているます。
わが国における社会教育及び家庭教育の充実に努めるとともに、家庭、学校、地域の連携を深め、子どもたちの健全育成と福祉の増進を図り、もって社会の発展に寄与する。
そして「基本的な視点・方向」で綱領を補足している。そこには「社会教育団体の一員である」「保護者としての自覚と責任(主体性の確認)」「権利擁護アドボガシー」「社会、自然環境などとの連帯」「子育ての地域社会化」「家庭間、および関係機関との連携融合」の6項目が書かれている。
まさにコミュニティワーク/ソーシャルワークなのです。冒頭で私が勝手に定義したのではなく、機関として専門的に理論構築されています。しかしこれは社会福祉の素人にやりきれる簡単な仕事ではありません。
そこで期待したいのがスクールソーシャルワーカーです。地域格差は大きいものの、各地で社会福祉士を配置する学校が増えています。この専門職を「いじめた対策」というケースワークやグループワークの専業とはせず、PTA活動のコーディネーターとして巻き込めないでしょうか。それができたなら、学校は地域社会福祉のネットワーク拠点として機能できるし、PTA活動は個別支援というコミュニティソーシャルワークの役割を担っていけます。
社会福祉士はそれができる専門職です。そしてPTAが機能しはじめることで、児童虐待、いじめなどから子どもたちを護れるようになるのではないでしょうか。
学びたいすべての子どもに給付型奨学金 [社会で子育てしよう]
無利子は当たり前だけど、世界で勝つには給付型だと思います。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDE29H0A_Z20C16A3PP8000/
保育を知りたければ、共感力を磨け [社会で子育てしよう]
【厚生労働省】「保育」について あなたの声を お聞かせくださいhttp://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000117083.html
キーワードは共感力です。多様な価値観のるつぼである今の社会でうまくやっていくには「共感力」で気づける能力が求められていると、社会福祉の取材をしていると思います。
だから、今さら意見募集とは、何に気づいて施策を設計してきたのかと、怒髪天!!! とはいえ、何事も手遅れはありません。言いたいことのあるひとは投稿しましょう。
それにしても、現場に飛び込むアウトリーチではなく意見を受け付ける受動的なやりかたにガッカリです。
福祉の窓口に座っていても援助はできません。そのことに気づいた福祉職たちはインフォーマルコミュニティへ積極果敢に飛び込んでいきました。
今すべきは、意見公募してその集計値を保育ニーズの根拠にするのではないと思います。1週間でいいから、現場で保育実習を経験して、どんな笑顔や涙がそこにはあるのか体感することで、共感力に磨きをかけることではないでしょうか。
調査レポートや専門資料からSNSのつぶやきまで、情報はあふれているなか、共感力が鈍ってきていることが社会リスクになっていると思うので、ちょっと気になり、この投稿を書いちゃいました。
品川区が失敗した施策を後追いする板橋区の自虐ネタか!? [社会で子育てしよう]
板橋区は学童保育をいっきに全廃します
http://goo.gl/WX6Uy7
学童保育クラブや保育所は自治体の直営でなくてもいいと思います。
けれど教育と福祉の連携すらプアなままで、インフォーマルセクターを巻き込んだ地域ぐるみの子育て=子育ての社会化などできるわけがないでしょう。小さな政府による子どもの教育福祉を推進できる状況にありません。
伝え聞く板橋のことは、専門職や保護者の連携を分断するというやり方も、品川がボタンをかけまちがえた第一歩と同じ。
ただし、メディア戦略に長けている品川は「子育て先進区」というブランディングに成功しています。そのため内情と保護者の印象はまったく逆というな、か区民というか区外からの品川評価は高いけれど、一部の保護者は親ニーズにはサービスメニュー充実で安心しきって子どもの情緒が不安定化していことに気づくのが遅れてたりしますね。それに焦って、現場は大きく方向転換していると聞きました。
板橋はしんどくなりそうですね。けれど、人のこと心配している場合ではなく、まだ入所承諾の通知が届かなくて焦っているのね。どうもボーダーらしく、最終判定は今週中か。ハラハラ、ドキドキ。
PTAは、PTA嫌いという人のために活動している [社会で子育てしよう]
またかとうんざりするネガキャンが続いています。それだけ関心が高いってことだけれど、事態は最悪の方向にすすんでいるようで、嫌な感じだな。
PTAは誰のためにあるのか?
負担大きいし、自由加入にしたらいいよ。
そういった声にソーシャルワークの視点から応えると、「PTAを嫌がっているあなたのためにPTAはあるってこと、わかってね」となります。
子育ては社会との相互関係のなかで展開します。ここでいう社会は、保護者同士の付き合いであったり先生との関係、地元の人たちの存在とか、子ども目線での暮らしている環境のこと。そういった子どもと同じ環境で保護者がどういったポジションにいるのかイメージすると分かりやすいでしょうか。その環境で孤立しているのか、それとも相互関係が機能しているのかによって、保護者の子育てスペックが左右されます。親子関係は子育て環境を構成している因子の一部でしかないので、子どもの健やか育ちを保障するための環境調整がとてもしにくいハイリスクの状態といます。
この相互関係を疾病モデルで考えている人がPTAを忌み嫌っています。
疾病モデルとは、骨折したときそれを治療することで健常な状態を回復できるという考えかたです。治療することが幸せに直結するというアセスメントで行動します。子育てでいえば、キャンプ教室で自然体験をしたり、塾に通うことで成績を修正しようとします。
けれども疾病モデルでは治療できても、包括的に子どもの発達を保障できません。
子育てはソーシャルワークでいうところの生活モデルでアセスメントしなければ課題解消になりません。人の暮らしは環境のなかで複雑な相互依存によって安定しているので、九九ができないという課題に対して、公文教室に通うという対策では不充分であったり、むしろ事態を悪化させかねないのです。
別の例では、経済的に困窮しているとき、その世帯に現金を渡しても、健全な育ちは保障されません。
お金では解決できない因子が複合的に存在するので、生活全体を見渡しながら課題を見出していくことが大切です。パチンコ依存症、失業、低学歴、調理が苦手、DV経験……。そういった課題が複雑に絡み合っている環境にいることで、学校では先生とのラポールが結べてないのかもしれません。学校でうまく生活できない児童の課題を、家庭の経済的困窮だとして、現金給付で解決しようとしても上手くいかないでしょう。
さてPTAに話しを戻してみると、PTAのようなコミュニティワークへの優先順位が低い保護者は子育て環境における孤立リスクが高まっています。そうした人を巻き込み、リスクを予防するような、いわゆるアウトリーチのコミュニティワークを展開しているのがPTAだと思うので、好きな人たちで仲良しクラブ的に運営しちゃうのではなく、面倒そうな保護者を巻き込んでいくようなことこそがPTAの存在意義だったりするでしょ、と思うんだな。
政治もアウトリ~~~チしろよ [社会で子育てしよう]
人のせいにするんじゃない!!!!!
子どもをしかるように、この議員さんにもダメ出しだな。自分はニュータイプ議員のように振る舞ってはいるけれど、本質的には旧体質のままじゃないかと。
政治家から見た、「子育て層の政治に対する影響力」の弱さ
http://otokitashun.com/blog/daily/10478/
これは先日の認可保育園に入れないブログ炎上に反応した投稿だけれど、このなかなで……
子育て・保育系の陳情・請願もゼロではありませんが、
やっぱり数は圧倒的に少ないし、
「何がなんでも会ってください、15分だけでも時間を下さい!」
という勢いはなかなか…というところでしょうか。
そして時に署名を何千筆も集めるような熱心で的確な訴えがあっても、
なぜか○産党議員の紹介をつけてしまうがため、あっさりと議会で無視されたりしています。
そう言って保育園の設置が進まない理由を分析。
子育て当事者は仕事・子育てにとあまりにも多忙なので、
赤ちゃんを抱えて平日の議会にまで来ることはほとんどできません。
なので議員・政治家たちに、魂の叫びは伝わっていない可能性が高いです
とブログに書いている。
政治の役割は、多数決ではない方法で地域の意見や欲望を調整して、まとまらない話し合いに結論を出すことではないでしょうか。
どのような意見が対立しているのか、それは陳情などのロビー活動で政治家に伝わるとおいうのが従来型でした。
けれどもそれではほんとうの課題が浮き上がってきません。
そのことに気づいた福祉の人たちは今、必死にアウトリーチしています。窓口に相談してくるのを待つやり方ではなく、事務所から地域へ飛び出して、戸別訪問をしたり、色々な当事者の集まりに参加して、本人は気づいていなくても福祉の援助を必要としている困難ケースを探し回っています。
政治でいうアウトリーチとは、一部の人たちがしている車座集会のようなものでしょう。しかも年間数回ではなく、数十回するほどの勢いがないとね。
町会や学校などの行事に顔を出しているけれど、それは単なる売名目的。しかも招待されてそこに参加している。そうではなくて、呼ばれていないのに出向く。しかも議員バッチを外して、他所向きではない住民の声を聞きまくる。そのぐらいのアウトリーチが議員には必要です。
そうでもしなければ、声の聞こえてこない意見も含めて調整することはできません。
その声は、問題意識がなければ聞こえてきません。そういうマインドも必要です。
陳情しなさいとは、この議員は声が聞こえなからと不作為を住民のせいにしています。そして住民は保育所を増やさない役所のせいで働けないという。どっちもどっちだね。他人のせいにしているうちは、まだダメだと思います。
役所や社会がどうにかしてくれる。お金を払えばどうにかなる。そういう意識を捨て去らないと、この先へは進めないんじゃないかな。
ことしもやるよ♪ [社会で子育てしよう]
(ローカルネタで失礼します)
まだ正式リリースはできないのですが、4月下旬に地元の古刹で例のイベントをやろうと実行委員会が立ち上がりました。今年はさらに地元化をすすめていこうと、たくさんの新メンバーが参画しています。その顔ぶれを見ると、子ども系の人が多そうです。
ゆるやか~に地域の人たちがつながるオーガニックな楽市楽座になれたらいいな。そうそう、メンバー募集中なので、心当たりの方はDMくださいね。一緒に楽しみましょう。
虐待から救えるのは、地域で暮らしているあなたです!! [社会で子育てしよう]
この3歳児虐待事件だが、きつい言い方をすると地域の見殺しです。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201601/CK2016011302000187.html
ワイドショーの取材に「ひどい泣き声だった」とコメントしている大勢の住民、あなたたちが殺したようなものだと思います。私は知っていたと、恥じることなく平然とコメントできる神経にゾッとしました。
両親は健全な成育環境になかったようですが、そこに原因を求めてはいけません。それは身体障がい者に、歩けない貴方が悪いのだ言うようなものです。
子どもを育ててる責任は保護者にあるけれど、その保護者が健全な子育てをすることを含めて子どもの健やかな育ちについて地域が責任を負っています。それが子育ての社会化です。
それを否定する親学などのファンタジーな子育てに憧れる人たちもいるようですが、子どもが社会のゆりかごで育っていくことは揺るぎない事実です。福祉の恩恵に実感がもいてなくても、みんなが肩寄せ合いながらかろうじて暮らしているのが人間社会です。
私たちはそうした社会の一員としての責任を負っています。けれどもこの虐待を見ていた住民は、自分事とは思わずスルーしてきました。
子どもの虐待だけではなくて、子育てしている大人、要介護者、介護している人、生活保護自給者、失業者、精神疾病……、そういったあらゆる生活困難をほうてっはおけないおせっかいな社会が救うのです。肩寄せ合って暮らすとは、そういうことだと思います。
そして自分が気づいたとき判断して行動できる大人になれるよう、子どもたちには良質な教養を育んでほしいものです。
道徳の授業では、情緒的な思いを膨らませるのではんく、ある社会の困難に直面したとき自身を持って判断行動するための倫理的な行動規範を学んでほしいと思います。それは文科省のいじめの定義のような、科学的根拠の乏しいものではなく、論理的に判断できるようなものであることが必要です。しかしエピソード重視の教育はここが弱点なんだよな。
子育て、じつは親だけが取り残されている [社会で子育てしよう]
ということで、社会から取り残されていたことに気づいてしまいました。子育てをしているなか、ネットもあるし、たくさんの情報を見比べながら最善の選択をしていると自認している父さん、母さんよ。じつは、締め切り直前のライターさんみたく余裕をなくしてジタバタと慌てふためているのは親だけだたっという話です。
PTAや父母会の活動に参入して分かったことは、地域で親だけが孤立してる危機的な状況です。
町会では、現役を退いた爺さん婆さんたちが活躍しています。その活動で、子どもがらみのことはたくさんあって、例えば登下校時の安全見守り活動もありますね。彼らが活動拠点にしている公民館が子どもたちの遊び場という町会も多いようです。そうすると、子どもたちと爺さん婆さんがしっかり顔見知りです。
学校の先生たちは自分たちがこの街にとってはよそ者だと分かっているから、町会の人たちと積極的に関わろうとします。お祭りでは一緒に御輿を担いだり、年末には餅つきを一緒にしたりとね。それに町会はイベントで学校施設を使うことが多いので、爺さん婆さんと先生たちも顔見知りです。
ところで子どもは地域で育っていきます。親が地元のことに関心がなくても、学校や公園で友だちの和が広がっていくし、登下校の時間も含めて、子どもたちは地元で過ごしています。それに学校内に子どもを囲い込むことで子どもたちの主体的な活動が阻害されたり、ストレスをため込みやすいことから児童発達においてハイリスクではないかという指摘があります。そのため放課後は学校外ですごせる居場所が必要だと言われています。そうなると地元の存在感が増しますね。
その地域ですっぽりと抜け落ちているのが『The親』です。子どもを中心とした学校や地元の人たちの輪に親だけが入っていません。町会長は誰だか知らないし、民生委員さんのことも分かりません。学校では、最近は連絡網すら用意できないところもあって、そうすると保護者同士のつながりもかなり脆弱です。
そういったこと、自分には関係ないし。
そう考える親はいっぱいいます。しかし、じつは孤育てになっていて、もしものときの援助がスムーズに受けられない超ハイリスク子育てをしているのではないかと、焦ってきました。
福祉のことをしているから余計に気になるのです。暮らしが順調のときは何事もないからいいけれど、ひとたび何かが起きれば、この平穏な暮らしはもろくも崩れ去ります。
失業、疾病、離婚、交通事故、、、、
学級崩壊、いじめ、学業不振、引きこもり、恋愛トラブル、子どもの物損事故トラブル、、、
崩壊のきっかけはいくらでもあります。
児童虐待の報道が度々あるけれど、そうしたとき孤育てが原因で最悪の事態に発展しているケースが目立ちます。
子どものことが心配だと、親たちはつぶやくけれど、PTA活動とかで見えてきた子どもたちの様子から、彼らは地元でしたたかに暮らしていることを知って、しかもそうした暮らしから親だけがすっぽりと抜け落ちていることに気がついて、大いに焦りました。
待機児童とか、子どもの居場所がないと言われてるけれど、じつは地元で居場所を持っていないのは親たちだったのです。子どもの育ちで、親だけが仲間はずれ状態にようなもの。これはやばいと思います。