ときどき考えては、反省するのね [育児よもやま話]
どうやって言い訳したところで、子どもを怒鳴ることは虐待です。
さて自分はどうなのか?
反省すべきことが多々あります。いつ児童相談所に通報されてもおかしくないでしょうね。通報されてしまった友人が言うには、それが誤報だとしてもかなりショックだと。
身体的虐待と、心理的虐待は身に覚えがあります。
久しぶりに虐待の定義を読んでみたけれど、難しいね。子どもの前で夫婦喧嘩もダメ。ではどうやって、親の揺るぎない意志を示せばいいのか。
子どもにとって、親とはどういう存在なのだろうか。
親にできることは……。悩ましいな。
★児童虐待の定義と現状(厚生労働省)
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/dv/about.html
父さん母さんたちよ、今年も自由研究がやってきたぞ [育児よもやま話]
娘の選んだ自由研究テーマはボルケーノ! そして、これもいつもの台詞で「連れてって」。
ほらきたよ。都合のいいときだけ甘えてくるんだから。これがわたスキの知世さんならいいのにね。
それぞれ地元は大変でしょうが、まさに自由研究のチャンスです。ちょっくら行けてしまうところに、現場がいくつもあるってすごいことです。なので、父さんも一緒に夏はボルケーノ!
じつは小学6年生のときに参加した地学のフィールドワークは衝撃的でした。子どもたちを森へ連れ出したのは北大の若い先生でした。そして崩落で地層がむき出しになったところへ行き、「ほらね、これが地球のハラワタだよ」と話してくれました。
こういう体験の積み重ねが子どもたちの教養を育んでいくと思います。だから、どこへでも出かけていくんだな。…と、自分が山へ行くことの言い訳でした。
仕事の流儀は、美味しい畑 [育児よもやま話]
野菜を食べることには二つの感覚があって、八ヶ岳南麓で家族畑をしているほぼ自給自足だと、「畑を食べてる」イメージが無意識のうちにあるなと気づきました。
NHKでスーパー八百屋のおやじが、「誰が買いに来てもはずれのない八百屋なんだ」と話しているの見て、心なかがざわつくような違和感がありました。おやじが言っているのは、キャベツや大根といった野菜を食べているのであって、木を見て森を見ずだなと。そして畑をやっているとは、森を見ることなのですね。
*プロフェッショナル 仕事の流儀「青果店店主・杉本晃章」
http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2015-07-13&ch=21&eid=10581&f=284
ここの八百屋に来れば、どれをを手にとっても美味しい野菜だから、下町の小さい八百屋は客足が途切れません。野菜を消費するお客にすると、店頭でどれが美味しいだろうかと品定めするわけで、自分もそうでした。
ところが畑を始めてみると、成長しすぎた野菜、ひょろ長く徒長した野菜、太れなかった果菜といった野菜のほうが多いことが当たり前になりました。
ようするに人間でいうと二十歳のピチピチした若者だけを集めてきたのがこの八百屋なのです。けれど、幼くても健康優良な子どもがいます。運動器は衰えているけれど50代の魅力的な大人もいます。そういう輝きが人生を通じてあることを私たちは知っています。
それは畑でも言えること。
虫食いや不健康な成長のために不味い野菜もあります。けれども、そういった野菜を差し引いても、畑には美味しい野菜がたくさんあります。
大きくなりすぎたズッキーニはスープにすると美味しいし、小さい人参はきんぴらで使います。だから美味しい野菜というよりも、「美味しい畑」をつくろうと考えるようになりました。
無意識だったけれど、このTV番組をみて、そのことに気づかされました。
この視点は、人生を豊かにするヒントかもしれません。
今日、ランチはネットで評判のお店に行ってきたけれど、料理は美味しかったな。幸せ~。
それとも、
ランチは500円定食だったけれど大好きな人と一緒で楽しかった。仕事も順調に進められた。今日はいい一日だったな。
前者が八百屋、後者が美味しい畑スタイルです。最高を追い求めるのもいいですが、流れのなかで幸せを味わうようなスタイルが「畑を味わう」なのでしょう。
それは子育てでも言えること。成績がどうしたとか、そういった評価ではなく、10年、20年という時間で子どもと向き合えたらいいな。まあ、そんな余裕は子育て渦中の私にありませんが、理想としてはね。
読み聞かせは、選書が楽しいっ [育児よもやま話]
7年も続けていると、さすがにネタも少なくなってきました。地元の小学校でしている読み聞かせは、子どもたちとしっかり関われる楽しみな時間です。
本づくりをしているから、これや自分の役割でしょっ! そう思い引き受けました。自分が読まずに誰がするのよというぐらい、当然のことだよと始めて見たけれど、これが思っていたよりもエキサイティングな活動で、しっかりはまりました。
読み方とか、その場の盛り上げ方とか、子どもたちの気持ちを想像しながら仕込んでいます。そして反応が悪いと、子どもたちの思いが別の方向にあるっていうことで、じゃあ何が気になるんですか~というふうに現場で探りを入れながら修正していきます。そうしたやり取りが楽しいのです。
そして何よりも好きな時間が選書です。子どもたちのことを想像しながら、この絵は気に入ってくれるかな、このお話はまじめすぎるかななどと、選んでいくわけです。そのとき、子どもたちの様子を思い出しながらするわけで、子ども理解の深まるいい時間です。
さて、来週の読み聞かせはどうなるかな。何を読むかはまだ内緒です。
化学調味料が美味しい!? [育児よもやま話]
味の素に対する思いこみをこのエントリーで溶かしてみせる
http://www.landerblue.co.jp/blog/?p=19553
個人のブログだと思いますが、食育にも関係しているもう一つの仕事で気になっている話題ということで書いてみましょう。
騙されそうな記事ですが、味の素=毒っていう口コミの反論としては及第点でしょう。そもそも味の素が毒というのはデマです。大学では発酵や食品を専攻せいていたけれど、学卒の乏しい知識でも断言できます。
けれども、自分で化学調味料は一切使わないけれど、それは身体に悪いからではありません。美味しくないので使わないだけのことです。
リンク先と期待してる旨さが違うようですね。高糖度トマトを美味いとするか、甘いだけで物足りないと思うか。そういった食スタイルのことだと思います。
旨さの要素は複雑です。味の素は旨いけれど、単一すぎて味としては面白みがありません。食塩はしょっぱいけれど、値段のお高い塩には旨味を感じるのと同じことでです。微少な成分が無数に関わりながら、旨さは引き出されます。大学で教授は、旨さ成分をすべて定量することはできないと話していました。それだけ多数の成分が複雑に関係しているのです。
鰹節と昆布は、それぞれ単体よりも合わさる方が旨いというのは料理をする方にとっては常識のことだと思います。「1+1=2」とはならず、「1+1=3(+α)」というのが料理の旨さなのです。
そう考えたとき、味の素を使うような調理方法は旨さの質として高くなさそうです。それに低質な食材で旨味不足を調味料で補うように誤魔化しているかもしれません。
子どもの食事としてみると、単一よりも複雑な刺激を提供した方が味覚は発達します。味の素の単一で強い刺激に麻痺せず、旨味の深さを関知できるようになるでしょう。
そう考えると、食品としての味の素は無害だけれど、子どもの育ちには有益ではないと考えています。それに旨くないから使いません。
ここでは固有の商品名を出したけれど、食塩や砂糖、サラダ油など、有益でないことで似ているものは身の回りにたくさんあります。
ただそれらを使わないような食事を準備するのはとても手間と時間がかかるし、工夫しないとコストもかかってきます。
暮らしの根幹は食だとはいっても、そのほかにたくさんの事情を抱えているわけで、そこは親のスタイルとしてチョイスすることが必要だと思います。
天照大神は思春期の娘じゃね [育児よもやま話]
田舎神楽の演目でメインは天岩戸!
太陽神である天照大神が弟のスサノヲの粗暴や意地悪に頭きて岩屋に引きこもってしまうと、世の中は真っ暗になったという。それで困った八百万の神が岩屋の前に集まり、天照大神に岩屋から御出でになっていただくにはどうしたらいいだろうかと相談をした。そして岩戸の前で踊ったり歌ったりして楽しそうにしていると、きっと天照大神は『あの者たちは何をしているのだろう』とおのぞきになるにちがい考えた。踊りがあまりに面白いので、神様たちも「わっははは」「おっほほほ」と笑ったりつられて踊りだした。岩屋のなかの天照大神は何事がおきたのかと、そっと岩戸をあけて外をご覧になったところを、えいやとこじ開けたという神話ですね。
この神楽を思春期真っ盛り&ギャングエイジな娘たちと見ていて、なんだか同じだなと思ったわけです。
へそ曲げて、フンと子ども部屋に引き籠もる娘たちですが、そうした振る舞いを無視する家族がリビングで楽しそうにしてたり、「アイス食べる~?」って会話が聞こえてきたりするものだから、気になってソワソワしてきて、堪らずにこっそり戻ってきます。そのときの決まり悪そうな顔ったら、親的には可笑しくて可愛くてね。
日本初の引きこもりガールと言われちゃったりしている女神の天照大神ですが、神話の描かれかたから想像すると、社会環境は今とはまったく違うだろうけれど、男女のことや心の揺らぎは同じだなと思うわけです。っていうことは、娘たちのへそ曲がりも伝説級の筋金入りってことになるから、もう諦めて笑うしかありませんね。
地域で子育てするってことは… [育児よもやま話]
父母会での挨拶をみんなが褒めてくれるものだから~、調子に乗って公開しちゃいます。
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会長を引き受けさせていただいたとき、「親睦」をテーマにしようと考えました。子どもたちの暮らしが発展するには、安心して過ごせる地域がゆりかごとなります。その最小単位が世帯です。
そして私たち親が顔見知りになることは、子どもたちの安心にもつながります。なにより、子どもがかすがいとなって親たちがつながると、いろいろな話をするようになるので子どもたちの暮らしがよく見えるようになります。そして子育てがもっと楽しくなります。
そう考えて1年前、新しく入所される皆さんをどしどし勧誘して、仲間に引き込みましょうという話をさせていただきました。
それだけが理由ではありませんが、キャンプには大勢参加していただき、また季節ごとの親睦会も回を重ねるたびに、賑やかになっていきました。
新年度も、新しい役員の皆様を中心に、父母会活動をきっかけに子育てを楽しんでいただければと思います。
今後とも、父母会活動にご協力のほどよろしくお願いします。
お父さんが私を苛つかせるのよ [育児よもやま話]
怒鳴ってはいけない。
娘たちの入学式があって上京していた実母に叱られました。「大きな声を出さないで育てなさい」と言われたのだけれど、30年前から反抗しっぱなしなので、それをストンと聞き入れるなんてできません。
だいたい、ねらいがあってしていたこと。そういった自信もありました。
けれども、その自信が娘の一言で揺らぎます。言葉遣いのことで強く叱られた娘が、意を決したかのように言ってきました。
「お父さんが私を苛つかせるのよ」
思春期とは、いろいろな発達が不均等に進むことで思った通りのことができず、そのジレンマで苛つくことです。考える力は発達しているから、「○○をしたい」と高く望むけれど、経験や判断力といったことがまだ未成熟なので、そのことが実行を障害してしまいます。結果、できないことに苛つくわけです。それは高齢者の認知症と似ています。
そういった理由も伝えながら、「あなたは不能ではない」と娘に話しています。そして苛つきの原因は君の内側(発達)にあるのだよと。
ところが、そうだとしても苛つきのトリガーは父なのだと言ってくるわけです。そこまでアセスメントしていながら、どうしてそういった寄り添い方をするのか。もっと別の方法があるんじゃないのかという、自分が意図していたことの上をいく指摘に、ぐうの音も出ませんでした。
そういえば、娘は昨日の身体検査で身長が151センチだったとよろこんでいました。だいぶ自分に近づいてきましたね。親に対抗できる能力を持つようになる日も近いなと、少々焦りました。自然界だと、この焦りが子どもを突き放すように独り立ちさせる親の行動につながるのかもしれませんね。……寂しくなっちゃうから、今のところ自分にはできなそうですが。
スマホ、ゲーム機、テレビは暇つぶしでしょ [育児よもやま話]
【携帯電話/スマホの約束】
★2階(リビング)だけで使う、充電する
★勉強や調べ物はipadを使う
★宿題や明日の準備をしてから使う
★遊びや勉強をしている人の邪魔をしない
★父や母も操作します
★携帯の持ち主は父です
★上手に使いこなして下さい
★高額です。1台5万円、料金6万円/年
進級進学のタイミングで携帯電話やスマホを持たせたよという家庭は多いようです。うちも上の娘二人が活動範囲の広がりで必要になってスマホと携帯をそれぞれ持つようになりました。
そのとき子どもたちに伝えたことかが【携帯電話の約束】です。プリントアウトして貼り出しました。
基本、こういったガジェットは使いこなす=リテラシーが育つと思うので、規制するようなことはしませんが、その悪性を排除したり、マナーを伝えるようなことはしてます。
この約束はテレビやゲーム機とほぼ同じことです。
まず悪性とは、それがとても魅力的でみんなの気を引いてしまうことです。いじっている人がとても楽しそうに見えちゃうということ。
だからせっかく遊びが盛り上がっていたり、本を夢中で読んでいる人がいるところで、だれかが動画サイトを見はじめると、遊びの手が止まってしまいます。そういった意味で、「邪魔をしない」ことが我が家のルールです。「ちょっかい」を出さないということです。
言葉は悪いけれど、ゲームとかテレビ、それにLINEにしても「暇つぶし」です。そうしたことが家族の団らんや個々の楽しみに水を差すようなことは許せません。つまらないことです。
そして「暇つぶし」なので、他にすべきことが残っているなら、それをするわけにはいきません。学校の準備をする前に、ご飯の準備を家族でするときに一人だけ「暇つぶし」をするなんて、それはいけませんね。
スマホとかテレビ、ゲーム機は「暇つぶし」「ちょっかいを出す」に言い換えてみると、上手い使い方が見えてきました。はっきりいって安くはありません。せっかくの素晴らしいガジェットですから、デジタルネイティブな子どもたちには積極的に使いこなしてほしいです。そういう意味で、ネットは画面の大きいipadを使いなさいと親心のアドバイスです。
PTAとか、いらなくね [育児よもやま話]
PTA強制加入で裁判があるそうです。http://stoppta.org/
この裁判に限らず、PTAは任意団体なのに全員加入は問題だという議論はこれまでにもありました。多少であっても金銭の関わることだし、加入世帯数も都市部なら3桁でしょう。そうすると組織として、誰にでも説明ができる体制でなければいけません。組織としてあやふやになっていることがあれば正すべきです。
ところがそれとは別問題として、任意加入を許容したときの負担が気になります。原則として全世帯加入としなかったときのコストを考えると、それは大きくて個人で負担しきれるものではありません。
PTA活動の目的は世帯間の親睦だと考えています。
子どもたちは親たちのことなどお構いなしで、どんどんと交友関係を広げていきます。そうしたとき、とくに低年齢の頃は親同士が知り合いであることの安心感が子どもたちのコミュニケーションを発達させます。だから子どもとは別のチャネルで親たちがつながることは落ち着いた成育環境をつくることになります。
ところが、親にとってこれはとてもしんどい。自分たちが子どもの頃と違い、各世帯でライフスタイルは異なります。クラス懇談会の様子を思い出して下さい。そこに参加している保護者のファッションが実に多様なこと。ビシッとスーツで決めている方から、それ寝間着じゃねというラフなスウェット姿の人までいます。
そうすると価値観だって違いますよ。そして自分と生き方や子育てスタイルがまったく違う、話のかみ合わない人たちと付き合うのは、ちょっと面倒だなと思いますね。
けれども子どもたちは、そうした大人の多いなど関係無しに交友関係を広げていくわけで、そうしたことを考えると、表面的であろうとも、多くの保護者とつながることが良いわけです。
そのとき、強制的に親睦できちゃうPTA活動は強力なお助けシステムとして起動してくれます。行事などに参加するだけで、自動的に知り合えちゃうわけです。普段の生活では絶対知り合えないようなタイプの保護者とも一緒に活動するからです。これは大助かりです。
ところが全加入のPTAがなかったとしたら、一人ずつ自力で知り合っていかなければなりません。
これはキツイ仕事だと簡単に想像できます。はっきりいって無理です。
学校任せで親同士がつながる必要ないし。そうやって切り捨てることは簡単だけれど、それはあまりに自分勝手なことではないだろうかと思います。
意識していないことが多いけれど、子育ては地域とか社会に支えられているからできることです。子どもたちの育ちを尊重してくれる地域文化といった無形のことから、町会やボランティア活動などの有形のものまで、その恩恵を誰しもが受けています。
けれども、子育ては親の自己責任だと「つながり」を突っぱねたとき、そうした地域のことはどうなるのでしょうか。
暮らしの多様性が高まった成熟社会です。そう今だから、PTAなどの地域におけるソーシャルアクションが大切なんだと考えています。
福祉ジャーナリスト 安藤啓一
https://www.facebook.com/keiichi.ando.3