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学びたいすべての子どもに給付型奨学金 [社会で子育てしよう]

経済政策と社会福祉政策は相対立するもの
社会福祉の充実は国富に左右されるけれども、富の再配分を意識しなければ国富が国民の豊かさに還元されないし、国民が貧しいと国富の持続制が損なわれるわけね。
ようするに、新自由主義経済でしっかり儲けて、それをジャブジャブと子どもの育ちに投入すると、20年後に彼らがこの国を支えてくれる正のフィードバックループを効かせましょう。
けれども今の政策は循環できていない。子どもについても子育て支援の視点であり、子どもの育ちは後回しになっています。
だからさ、選挙目当てのばらまきでいいから、給付型奨学金にしたらいい。学びのコストは社会で出してあげましょうね。ここをけちってどうするのさ。

無利子は当たり前だけど、世界で勝つには給付型だと思います。
『無利子奨学金を拡充 首相が表明』っていうのは、自慢できる内容ではない。社会で子どもを育て上げる覚悟がみじんも感じられません。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDE29H0A_Z20C16A3PP8000/
さてフィードバックループを効かせることができるかの大問題として消費増税の先送り懸念があります。社会福祉財源にしているからね。そもそも、社会福祉財源を消費税に求めたところで筋が悪いとは思うが、そう決まっていることなので、先送りはフィードバックループに急ブレーキをかけることでしょう。そこが気になってます。

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保育を知りたければ、共感力を磨け [社会で子育てしよう]

【厚生労働省】「保育」について あなたの声を お聞かせくださいhttp://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000117083.html

 キーワードは共感力です。多様な価値観のるつぼである今の社会でうまくやっていくには「共感力」で気づける能力が求められていると、社会福祉の取材をしていると思います。


だから、今さら意見募集とは、何に気づいて施策を設計してきたのかと、怒髪天!!! とはいえ、何事も手遅れはありません。言いたいことのあるひとは投稿しましょう。


それにしても、現場に飛び込むアウトリーチではなく意見を受け付ける受動的なやりかたにガッカリです。


福祉の窓口に座っていても援助はできません。そのことに気づいた福祉職たちはインフォーマルコミュニティへ積極果敢に飛び込んでいきました。


今すべきは、意見公募してその集計値を保育ニーズの根拠にするのではないと思います。1週間でいいから、現場で保育実習を経験して、どんな笑顔や涙がそこにはあるのか体感することで、共感力に磨きをかけることではないでしょうか。


調査レポートや専門資料からSNSのつぶやきまで、情報はあふれているなか、共感力が鈍ってきていることが社会リスクになっていると思うので、ちょっと気になり、この投稿を書いちゃいました。


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自死報道のゲスさが酷すぎる [取材の雑ネタ]

朝イチで長女の通院付き添いというホワイトデイ。そお待合いでワイドショーを見ていたら例の中学教諭によるゲスな生徒指導のことをあーだ、こーだと騒ぎ立てていました。

高市早苗さん、あなたの出番ですよ!!

WHO世界保健機関による自殺予防のメディアガイドラインが、内閣府のサイトでも見ることができます。これに照らし合わせると、先生もゲスなら、メディアは超ゲスってことになりますね。ちなみに3月は自殺予防対策月間です。高市さん、ここはメディアにガツンと言ってやりましょう。汚名挽回の時ですよ。

自殺予防のメディアガイドライン

・努めて、社会に向けて自殺に関する啓発・教育を行う
・自殺を、センセーショナルに扱わない。当然の行為のように扱わない。あるいは問題解決法の一つであるかのように扱わない
・自殺の報道を目立つところに掲載したり、過剰に、そして繰り返し報道しない
・自殺既遂や未遂に用いられた手段を詳しく伝えない
・自殺既遂や未遂の生じた場所について、詳しい情報を伝えない
・見出しのつけかたには慎重を期する
・写真や映像を用いることにはかなりの慎重を期する
・著名な人の自殺を伝えるときには特に注意をする
・自殺で遺された人に対して、十分な配慮をする
・どこに支援を求めることができるのかということについて、情報を提供する
・メディア関係者自身も、自殺に関する話題から影響を受けることを知る
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/link/kanren.html


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忘れない。 [仕事雑感]

寒くなりましたね。そういえばあの日も寒かった。

日の出前の暗い時間から森に入っていたのだけれど甲斐駒ヶ岳の稜線から吹き下ろす風が頬を刺すように冷たかったのをよく憶えています。

今日は思い出すことが大切じゃないかと思っています。昨日よりも明日を語ろうと日頃は意識しているけれど、この日ばかりは忘れないために振り返る時間です。

大惨事になっているとも分からず、停電渋滞のなか帰宅できたのは深夜でした。寝ている娘たちの姿を確認してからTVつけると暗闇のなか燃え上がる街の映像が飛び込んできました。

妻は職場、自分も出かけている。娘たちは保育園に二人と、それから学童へ下校途中だった長女という具合に家族バラバラでした。それは嫌な思い出です。何かがあるときは家族が一緒がいいよね。

3.12以降は子ども用品をかき集めて宮城へ送り届けたり、原発の爆発があってからは被爆防除と東京脱出の準備に追われた1ヶ月でした。直接的な被害は受けなかったけれども、あの日々は一生忘れられません。

そうだね、雨がやんだら久しぶりに町内の空間線量を測定しにいこうかな。測らなければ安心して子どもと暮らせなかった日々のことを忘れず心に刻むために、ピッってやりにいこう。だいたい検査機の電池が切れているところからして、風化の象徴であるかのように思えます。

そして今も苦しんでいる人たちがいることは、ぜったい、忘れちゃダメ。目をつむると、取材した仙台平野や石巻、そして相馬の人たちのお話が思い出されます。

憶えていますよ。そう心につぶやきながら、あの時間には祈りをささげます。


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理論の勉強をしています [とほほ]

そこまで分かっていたなら先に言ってくれよ。

正直言って、私は怒っています。何にって、自分にね。

社会福祉の資料を読み漁るようになって1年がたつけれど、目から鱗が落ちるような発見の連続です。

研究者や専門家が科学的に議論を重ねてきた成果として結論に至っていることを、自分はいまさらどうこう検討しているケースが多くて、なんと無駄な時間を費やしてきたことか。ガッカリさせられます。

本というのは教養のクラウドサービスのようなもので、自分一人では到達できないような高みに優れた研究者たちの英知を使って登るわけですね。これはOJTにできないねぇ。

大学は農学部だったし、医療職として働いた経験もありません。それでも社会福祉の専門ライターとして書いてこれたのは、取材のたびに知識を得てきたOJT的なことの積み重ねでした。

そうした経験から、素人ではない知識量とか視点はあるけれど、自信がなくなってきました。

言葉が上すべりする。そういった感触ばかりが締め切り後に残るのです。原因は明らかでした。それは自分の記事に根拠が薄っぺらだったから。

そこで学びはじめたのだけれど、あるケースで議論になっていることでも、研究者のなかではすでに解決済みということがとても多いのだと気づきました。医療の人たちが在宅移行で議論していることでも、ソーシャルワーカーの生活モデルでは何をすべきかすでに明らかであったりします。

専門家たちが多くの時間を費やして結論を導き出しているのに、それを知らないがために、同じ議論を繰り返すことになっています。これは社会としてとてつもないロスです。

人類の英知は、私たちの共有財産としてもっと活用しなければ。とくに人口減少社会のこれからは大切になってくる視点だと思います。

英知はOJTでは学べません。その現場でしか通用しないムラの都合でしかないのでね。しっかりと理論を持った上でなければその場しのぎのOJTになってしまう。というか自分にはそこに陥っていたのだと気づきました。普遍的な理論に耐えうる知識を持たなければと意識するようになっています。

情緒的な●●理論も跋扈しているけれど、そういった聞こえのいい話に躍らされないためにも科学的な理論を身につけることが大事。そう思うようになりました。


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品川区が失敗した施策を後追いする板橋区の自虐ネタか!? [社会で子育てしよう]

板橋区は学童保育をいっきに全廃します
http://goo.gl/WX6Uy7

学童保育クラブや保育所は自治体の直営でなくてもいいと思います。

けれど教育と福祉の連携すらプアなままで、インフォーマルセクターを巻き込んだ地域ぐるみの子育て=子育ての社会化などできるわけがないでしょう。小さな政府による子どもの教育福祉を推進できる状況にありません。

伝え聞く板橋のことは、専門職や保護者の連携を分断するというやり方も、品川がボタンをかけまちがえた第一歩と同じ。

ただし、メディア戦略に長けている品川は「子育て先進区」というブランディングに成功しています。そのため内情と保護者の印象はまったく逆というな、か区民というか区外からの品川評価は高いけれど、一部の保護者は親ニーズにはサービスメニュー充実で安心しきって子どもの情緒が不安定化していことに気づくのが遅れてたりしますね。それに焦って、現場は大きく方向転換していると聞きました。

板橋はしんどくなりそうですね。けれど、人のこと心配している場合ではなく、まだ入所承諾の通知が届かなくて焦っているのね。どうもボーダーらしく、最終判定は今週中か。ハラハラ、ドキドキ。


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ハッピーひな祭り。。。 [とほほ]

どういうわけだか、行事が多すぎですね。キャッチアップしいくのに必死です。

そうだよね。わかるよね。

誰に共感を求めているのだろうね。

ひな祭りって何をお祝いする日なのかな。とりあえずハマグリは用意したけれど、妻はケーキ買ってくるそうだし、やっぱりパーティになるのかな。ちらし寿司もマストってことか。

女子の日。女系家族だし、そうするよね。だから雛人形は出しましたよ。もちろんね。

けれどもハレの日が多すぎて、あわただしい日常でふと立ち止まって子どもの育ちを確かめるようなことの意味も薄れてますね。むしろ定期テストの結果とか、スポーツ教室の発表会で子どもと向き合ったときの方が収穫多いかな。それと父娘と小旅行=家族畑の仕事に出かけた車中の会話もラポールです。

なんだかよく分からないけれど、ひな祭りなので、今夜は娘たちの親になれた自分へ乾杯しようかな。ブツブツ……

 


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PTAは、PTA嫌いという人のために活動している [社会で子育てしよう]

またかとうんざりするネガキャンが続いています。それだけ関心が高いってことだけれど、事態は最悪の方向にすすんでいるようで、嫌な感じだな。

PTAは誰のためにあるのか?

負担大きいし、自由加入にしたらいいよ。

そういった声にソーシャルワークの視点から応えると、「PTAを嫌がっているあなたのためにPTAはあるってこと、わかってね」となります。

子育ては社会との相互関係のなかで展開します。ここでいう社会は、保護者同士の付き合いであったり先生との関係、地元の人たちの存在とか、子ども目線での暮らしている環境のこと。そういった子どもと同じ環境で保護者がどういったポジションにいるのかイメージすると分かりやすいでしょうか。その環境で孤立しているのか、それとも相互関係が機能しているのかによって、保護者の子育てスペックが左右されます。親子関係は子育て環境を構成している因子の一部でしかないので、子どもの健やか育ちを保障するための環境調整がとてもしにくいハイリスクの状態といます。

この相互関係を疾病モデルで考えている人がPTAを忌み嫌っています。

疾病モデルとは、骨折したときそれを治療することで健常な状態を回復できるという考えかたです。治療することが幸せに直結するというアセスメントで行動します。子育てでいえば、キャンプ教室で自然体験をしたり、塾に通うことで成績を修正しようとします。

けれども疾病モデルでは治療できても、包括的に子どもの発達を保障できません。

子育てはソーシャルワークでいうところの生活モデルでアセスメントしなければ課題解消になりません。人の暮らしは環境のなかで複雑な相互依存によって安定しているので、九九ができないという課題に対して、公文教室に通うという対策では不充分であったり、むしろ事態を悪化させかねないのです。

別の例では、経済的に困窮しているとき、その世帯に現金を渡しても、健全な育ちは保障されません。

お金では解決できない因子が複合的に存在するので、生活全体を見渡しながら課題を見出していくことが大切です。パチンコ依存症、失業、低学歴、調理が苦手、DV経験……。そういった課題が複雑に絡み合っている環境にいることで、学校では先生とのラポールが結べてないのかもしれません。学校でうまく生活できない児童の課題を、家庭の経済的困窮だとして、現金給付で解決しようとしても上手くいかないでしょう。

さてPTAに話しを戻してみると、PTAのようなコミュニティワークへの優先順位が低い保護者は子育て環境における孤立リスクが高まっています。そうした人を巻き込み、リスクを予防するような、いわゆるアウトリーチのコミュニティワークを展開しているのがPTAだと思うので、好きな人たちで仲良しクラブ的に運営しちゃうのではなく、面倒そうな保護者を巻き込んでいくようなことこそがPTAの存在意義だったりするでしょ、と思うんだな。


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マスコミの病人いじめ問題 [取材の雑ネタ]

WHO(世界保健機関)」でも「依存症は病気」~アジサイが土壌を変えると花の色が変わるように、環境を変えると人は変わる。

◆田代まさしが激白 清原逮捕時「ストロー発見」の意味とは
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/175677/1

まず病気であることをメディアは認識すべきだろう。病気なのだから、自分の気合いで治すことは不可能です。他害があるならそれは犯罪なので、エクスクルージョン(社会的排除)による安全の確保もしなければなりません。

けれども依存症は自助でどうにかなる問題ではありません。

子ども向けの薬物乱用教室があちこちでされているけれど、薬物の怖さを伝えるだけでは不充分です。

さらに踏み込んで、「貴方が悪いのではなく、病気だから助けを求めなさい」ということを話してあげたい。親がパチンコ通いをしているのは病気なのだから、「お母さんを助けて!」とSOSをだしましょう。けれども、そのSOSを誰が受け取るのか。病気だから頑張ってご飯の用意をすることはできないのに、だれも助けてくれません。保健センターの保健師がそこまで踏み込んでくれたらいいけれどね。

依存症には、パチンコ、お酒、ギャンブル、タバコ……。いろいろとあるわけで、それらが病気だと社会は認識しなければ、病気の本人は救われません。だいたい駅前にパチンコ店が乱立していることは異常だと思います。サプリメントや健康食品の話題が大好きなのに、健康生活を蝕んでいる依存症には寛容というか、危機感が無さ過ぎると思います。

東京オリンピックパラリンピックに向けて禁煙施策がかなりでてくるようですね。歴代の開催地はヘルスケアに取り組んできたので、それに習ってのことです。けれどもパチンコは放置でいいのかな? 依存症製造施設ですよ。

田代氏が言うように環境因子は大きいでしょう。自助努力に任せるのではなく、できない、入手できない環境、ようするに依存症を引き起こす因子を社会から排除することも必要だし、病気の人を隔離することは何ら解決になりません。

本人ではなく、社会が解決すべき事ではないでしょうか。なのにマスメディアはどこも同じ論調です。故にオワコンって言われちゃうんだね。


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政治もアウトリ~~~チしろよ [社会で子育てしよう]

人のせいにするんじゃない!!!!!

子どもをしかるように、この議員さんにもダメ出しだな。自分はニュータイプ議員のように振る舞ってはいるけれど、本質的には旧体質のままじゃないかと。

政治家から見た、「子育て層の政治に対する影響力」の弱さ
http://otokitashun.com/blog/daily/10478/

これは先日の認可保育園に入れないブログ炎上に反応した投稿だけれど、このなかなで……

子育て・保育系の陳情・請願もゼロではありませんが、
やっぱり数は圧倒的に少ないし、
「何がなんでも会ってください、15分だけでも時間を下さい!」
という勢いはなかなか…というところでしょうか。
そして時に署名を何千筆も集めるような熱心で的確な訴えがあっても、
なぜか○産党議員の紹介をつけてしまうがため、あっさりと議会で無視されたりしています。

そう言って保育園の設置が進まない理由を分析。

子育て当事者は仕事・子育てにとあまりにも多忙なので、
 赤ちゃんを抱えて平日の議会にまで来ることはほとんどできません。
なので議員・政治家たちに、魂の叫びは伝わっていない可能性が高いです

とブログに書いている。

政治の役割は、多数決ではない方法で地域の意見や欲望を調整して、まとまらない話し合いに結論を出すことではないでしょうか。

どのような意見が対立しているのか、それは陳情などのロビー活動で政治家に伝わるとおいうのが従来型でした。

けれどもそれではほんとうの課題が浮き上がってきません。

そのことに気づいた福祉の人たちは今、必死にアウトリーチしています。窓口に相談してくるのを待つやり方ではなく、事務所から地域へ飛び出して、戸別訪問をしたり、色々な当事者の集まりに参加して、本人は気づいていなくても福祉の援助を必要としている困難ケースを探し回っています。

政治でいうアウトリーチとは、一部の人たちがしている車座集会のようなものでしょう。しかも年間数回ではなく、数十回するほどの勢いがないとね。

町会や学校などの行事に顔を出しているけれど、それは単なる売名目的。しかも招待されてそこに参加している。そうではなくて、呼ばれていないのに出向く。しかも議員バッチを外して、他所向きではない住民の声を聞きまくる。そのぐらいのアウトリーチが議員には必要です。

そうでもしなければ、声の聞こえてこない意見も含めて調整することはできません。

その声は、問題意識がなければ聞こえてきません。そういうマインドも必要です。

陳情しなさいとは、この議員は声が聞こえなからと不作為を住民のせいにしています。そして住民は保育所を増やさない役所のせいで働けないという。どっちもどっちだね。他人のせいにしているうちは、まだダメだと思います。

役所や社会がどうにかしてくれる。お金を払えばどうにかなる。そういう意識を捨て去らないと、この先へは進めないんじゃないかな。


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